9.2 終わりなき対話

「いよいよ今日が最後の講義じゃな。まずは、生きる力のモデルを見ながら、これまでの講義を振り返って行こうかのう」

渋さんは、スクリーンに肉球モデルを映し出した。

「この図に沿ってこれまで7回に渡って講義を行ってきた。自己理解力、強運力、コミュニケーション力、想像力、目標設定力、マネジメント力、適応力と続いてきておる。今日は最後の『幸福力』で、端的に言えば幸せを感じる力のことじゃ。幸福力は、これまで話してきた生きる力の中でも一番重要で、他の力が優れていたとしても、幸福力がなければすべてが台無しじゃ。逆に幸福力さえあれば、他の力が不足していても、だいたいのことは補える。図を見てもらえれば分かるが、幸福力はこれまでの力を全て包含しておる

そういえば、渋さんの講義は久しぶりだ。渋さんは最初に講義しただけで、それ以降はずっと教室の隅で寝ていたっけ。

「事前課題を通じて、幸せとは何かということについて考えてみたかのう? 幸せについては、古今東西さまざまな解釈がある。これから話すことはわしなりの解釈じゃが、それが正解というわけでもない。1匹1匹が生涯をかけて考え続けるテーマじゃ。よいか、チャビー」

「ボクにとって幸せとは、食べることであり寝ることであります~!」

「はっはっは、お前さんはぶれないのう。まったくもって良いことじゃ。よし、では始めるぞ。まず、最初に話しておきたいのは、『幸せとは自分の中にあるものだ』ということじゃな。幸せの青い鳥を探しに、世界中を探し回る兄妹の童話があるじゃろう。世界を探し回っても青い鳥は見つからず、一番最後に自分達にいた鳩が幸せの青い鳥だったと知る。この童話は、幸せは自分の近くにあるという教訓を示している」

image

わしはな、『幸せとは猫の能力である』だと考えているんじゃ。走るのが速いことや、絵を描くのが上手いということと同じように、幸せを感じるというのは、猫の能力の1つなんじゃよ。他の能力と同じように、ある部分は先天的に生まれ持った才能じゃが、ある部分はトレーニングで鍛えることもできる……。わしの同級生に伊藤という猫がおるんじゃが、伊藤を例にして幸せを感じる能力について話すこととしよう」

「伊藤さんて……ネズミ取りの得意な方でしたっけ~?」

「チャビー、それは竹内じゃ。伊藤はまた別の猫じゃよ。伊藤は水道配管工をやっている猫だ。伊藤はあんまり頭が良い猫ではないんじゃが、すごく素直で優しいやつでのう。ある時の同窓会でこんなことを言っておった」

渋ちゃん、仕事は体力的にキツイけど、やり甲斐あって楽しいし、オレ天職だと思ってるよ。毎晩、仕事が終わってから家で晩酌をするんだ。そんなに量は飲まないよ、ビールをジョッキで4杯ぐらいかな。それを飲みながらチビ共が家の中で遊んでるのを見るのが好きなんだよ。その瞬間、オレは本当に幸せだな~って思うんだ

「わしはそれを聞いて、伊藤は幸福力が高いと唸ったわい。1つ目のポイントは、自分の好きなこと、自分自身が幸せを感じる場面をしっかり認識していて、そういう場面に自分を置くようにしていることじゃ。そして2つ目のポイントは、自分自身が幸せを感じられる場面を、わりと身近に持っているということじゃな。幸せを感じる上で、この2つは大事なポイントじゃよ」

「唯物論の見方に立てば、幸せとは、エンドルフィン、ドーパミンなどの神経伝達物質が適切に分泌し、調和している状態とも言えるぞ。まさに、幸せとは自分の中にあると言えるな。そういえば、ヨシムネ。以前、お前さんは宝くじを買わないと言っていたな。それは何故じゃ?」

「宝くじは払い戻し率の期待値が低くて、絶対に儲からないように出来ているからです」

「確かにそうじゃな。金額的な収支としては圧倒的に不利じゃ。ではなぜ、宝くじを買う猫がいると思う?

「分かりません。正直言って、宝くじを買う猫は……バカなんじゃないですか?」

「残念じゃが、その回答では猫に対する理解が浅いな。宝くじを買う猫だって、換金率が低いことぐらい知っておる。それでも宝くじを買う猫がいるという事は、換金率だけでは猫の行動は説明できないということじゃ。宝くじが当たった時の嬉しい気持ち、外れた時の残念な気持ち、それぞれの場面で自分の脳内物質がどう分泌されるかを無意識のうちに天秤に掛けて、合理的な判断をしているのかもしれん。ヨシムネは、『数学的な期待値に従った判断』に価値を感じているのじゃろう。ただし、どういう場面で脳内物質が分泌されるかは猫それぞれであり、主観的なものなんじゃ。猫によって違うから、他の猫のことはあまり参考にならん。幸せとは何かというのは自分自身との終わりなき対話じゃな」